今回は「激レアさん」に登場した静岡ブルーレヴズ社長の山谷拓志さんの学歴や経歴(プロフィール)、年収や結婚といった気になるキーワードについて調べてみました。
山谷拓志さんは経営破綻したバスケットボールチームを6000万円の借金をしながら立て直した人物として話題となりました。
現在ラグビーチームの静岡ブルーレヴズ社長の山谷拓志さんとはどんな方なのでしょうか?
山谷拓志の学歴(高校&大学)
出身高校:慶応義塾高校
出身大学:慶応義塾大学経済学部
山谷拓志さんの学歴は高校・大学慶応という高学歴の持ち主でした。
山谷拓志さんが慶応高校に進学した理由は中学生の時に見た慶應義塾大学ラグビー部がトヨタ自動車に勝ったのを見たことで慶応でラグビーをしたいからだったとのことです。
しかし慶応義塾高校に入学すると、ラグビー部は小・中とやってきた生徒ばかりで断念します。
するとぶしつが隣のアメリカンフットボール部から「アメフト部がある高校は少ないから頑張れば日本一になれるといわれ入部します。
慶應義塾大学でもアメリカンフットボールを続け、4年時には学生日本代表に選出されました。
山谷拓志の年齢・経歴(プロフィール)
茨城ロボッツ代表退任そしてバスケ界卒業のご挨拶|山谷 拓志(やまや たかし) #note https://t.co/TOqRiKNkXL
— Taiyo Wakugawa (@TaiyoWak) July 15, 2021
名前:山谷拓志(やまやたかし)
出身:東京都昭島市
年齢:53歳(2023年時点)
生年月日:1970年6月24日
大学卒業後の1993年に株式会社リクルートに入社され、営業職、企画職、組織人事コンサルタント色を歴任しまし、アメリカンフットボールは大学で辞めるつもりでしたが、リクルートシーガルズが一部に昇格したという事で現役続行。
1996年、1998年と2度ライスボール優勝を果たしております。
アメフトは2000年にリクルート退社と主に現役引退し、その後はシーガルズのアシスタントマネージャーに就任。
2002年にクラブチーム化されたシーガルズではオフェンスアシスタントコーチを務め、東京スーパーボール優勝に導いた。
その後経営コンサルティング会社で多くの企業で講師を務めます。その語源・栃木ブレックス(バスケチーム)では田臥勇太選手を獲得するなど補強し、2年目には優勝しチームも3年連続黒字化にする。
日本バスケットボール協会の専務理事を経て2014年には経営難の筑波ロボッツ(バスケチーム)の社長に就任し、6000万円の借金を背負いながらチームを立て直した。
この件については6000万円の融資の3000万円が選手3か月間の給与でなくなったり、選手が13人中8人去り、試合出場の為に1週間で5人の選手を集めたりアリーナ建設計画が中止になったりと想像を絶する条件ながら成功させています。
そして2021年からはラグビーのヤマハ発動機ジュビロをクラブ化した静岡ブルーレヴズの社長を務め現在にいたります。
山谷拓志の年収
静岡ブルーレヴズの山谷拓志社長の年収が気になるという方もいると思います。
山谷拓志社長のこれまでの経歴・実績からすると引く手あまたなのではないかと思います。
年収に関しては情報がありませんが、社長を務める静岡ブルーレヴズの広報・プロモーションマネージャーの募集要項では年収700万円からとなっておりました。
そのクラブチームの社長になりますので、それ相応の年収はあると思います。1000万円以上は確実なのではないかと思います。もっとかもしれません・・・
皆さんはどう思いますか?
山谷拓志社長(静岡ブルーレヴズの社長)は結婚して妻(嫁)はいる?
山谷拓志社長は東京出身の妻(嫁)とご結婚されているとのことです。
現・栃木ブレックスの社長就任する前には結婚されていて東京に住んでいたとのことです。
インタビュー記事の中で語られたことで、これ以上の情報は現段階では見つけられませんでした。
まとめ
山谷拓志社長の学歴は高校・大学共に慶応でした。
山谷拓志社長の経歴(プロフィール)はリクルートを経てスポーツマネジメントの世界で成功されていました。
山谷拓志社長の年収については情報がありませんでした。
山谷拓志社長は結婚されて調教出身の妻(嫁)がいらっしゃるようでした。
コメント