今回はみなさんが一度は食べたことがあるモスバーガーについて創業者の一人で初代社長を務めた櫻田慧氏についてまとめてみました。
創業者の櫻田慧はどのようにして今では誰もが知るハンバーガーチェーンを作り上げたのでしょうか?
モスバーガーの創業から創業者の櫻田慧の出身、高校、大学、経歴を見ていきましょう!
モスバーガー 3人の創業者
・櫻田慧(初代社長)
・吉野祥(初代専務)
・渡邊和夫(2代目社長)
大学卒業後証券会社に就職した櫻田慧は入社3年目で念願のアメリカのロサンゼルス支社に抜擢されます。
この時ハンバーガーショップのトミーズと出会います。外見はみすぼらしいのにいつも行列が絶えないお店だったのです。気づけば櫻田慧は常連となっていました。
証券会社に勤務していた櫻田慧でしたが不況のあおりを受けて帰国し、上司と大喧嘩をして退職して皮革問屋に転職しますが副社長と大喧嘩をして退職します。
その後証券会社時代の後輩の渡邊和男さん(後にモスフードサービス二代目社長)、吉野祥さんと共に皮革製品を販売する株式会社モスを起業しますが、うまくいきません。
その時証券会社時代に通っていたハンバーガーショップのトミーズを思い出します。櫻田慧は渡邊、吉野とともに渡米しトミーズで修業します。
無償で働きたいという3人にトミーズも惜しみなくアドバイスをしてくれたとのことです。
そして2.8坪のモスバーガー1号店がオープンしました。その後は皆さん知っての通り日本で誰もが知るモスバーガーチェーンとなりました。
もすがーがーはもともとハンバーガーの会社ではなかったのです。
モスの名前の由来とは?
MOSはMountain,Ocesan,Sunの頭文字で常に理想のビジネスや会社について語り合い、大自然がが好きだった3人が決めたといわれております。
ここで小休止!モスは通販もあるんです!
モスバーガー 創業者の櫻田慧は大船渡出身で学歴や経歴は?
名前:櫻田慧(さくらださとし)
出身:岩手県大船渡市
出身高校:盛高校(現:大船渡高校)→東京の大森高校に転校
出身大学:日本大学経済学部
受賞歴:藍綬褒章(1993年)
櫻田慧は岩手県大船渡市盛町にある高級料亭「喜福」の10人兄弟の末っ子として生まれました。
地元の大船渡高校に通っていた櫻田慧でしたが医学部入学を目指し東京の都立大森高校に転向しています。
日本大学医学部に入学しますが金銭的余裕がなく経済学部に切り替えました。その後現在の日興証券に入社し、抜群の営業成績を誇り、倍率1500倍のロサンゼルス支社への派遣を勝ち取ります。
その後は前項で記述した通り皮革問屋に勤務後起業しました。しかし日本でハンバーガーショップとして起業したものの商売は順調ではありませんでした・・・
たらいの水
モスバーガー 創業者の櫻田慧は幼いころ母親に「たらいの水」という話を聞きます。
それは自分の方にかき寄せると逃げ出してしまうが、外へ押し出すと水は自分の方に戻ってくる。人との関係も同じだと教えられます。
ある日櫻田慧に500万円を貸してくれた先輩が事業に失敗してしまったのです。櫻田慧は恩人を見殺しにはできないと当時住んでいた家を売り、500万円に利子を付けて返したのです。
恩人に借金を返してから業績がみるみる上がり2号店は予想をはるかに超える人気となり借金の完済が見えてきたのです。
このことは櫻田慧が母から教わった「たらいの水」のようだったとし、現在もモスの心となり引き継がれているといいます。
モスバーガー 創業者の櫻田慧の現在は急死していた!
1997年5月24日に元オリンピック水泳選手の木原光知子の自宅マンションで倒れ、東京都中央区の病院でくも膜下出血の為お亡くなりになられています。
まとめ
モスバーガーの3人の創業者は櫻田慧と証券会社の後輩である吉野祥さんと渡邊和夫さんです。
モスバーガーの創業者の櫻田慧は岩手県大船渡市出身で高校時代に転校のため上京していました。
モスバーガーの創業者の櫻田慧の学籍は出身高校が都立大森高校で出身大学が日本大学経済学部。
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