今回は前回の記事で紹介した横浜高校の伝説の天才投手・丹波慎也さんの兄で元プロ野球選手の丹波幹雄さんについてお伝えします。
丹波慎也さんは凄い人物でしたが、お兄さんの丹波幹雄さんもすごい方なんです。
丹波慎也の動画をみたら実力が凄い!上地雄輔との関係も気になる!
丹波幹雄の経歴
9:23頃から丹波幹雄さんが出ます。
並木フェニックス
横浜中央リトル
金沢シニア
横浜高校
WIEN BASEBALL CLUB
ヤクルトスワローズ(背番号62)
プロフィール
名前:丹波幹雄(たんばみきお)
年齢:44歳(1974年9月30日生まれ)
出身:横浜市
身長:193㎝
体重:94㎏
丹波幹雄さんは2018年現在44歳の元プロ野球選手です。
丹波幹雄さんは横浜高校で1年生からベンチ入りするほどの投手でした。しかし2年春にひじを痛めたことにより退部。それ以来野球から離れていました。
途中で野球をやめていますが、丹波幹雄さんも名門横浜高校で1年からベンチ入りするくらいですから、相当な実力を持っていたことになりますね!
ところが当時横浜高校のエースで4番だった丹波慎也投手とキャッチボールをした時に「まだまだやれるじゃん」といわれたそうです。
それから2週間後丹波慎也さんが心臓肥大による急性心筋梗塞で急逝されます。
当時丹波幹雄さんは「もう2度と野球をしたくない」、「野球は弟の慎也にたくした」と決めたいましたが、弟の丹波慎也さんの夢の為にプロ野球選手を目指します。
丹波慎也さんの残したグラブをはめた時、指の感覚から何から全てがぴったりで驚いたそうです。
やはり兄弟なんですね!
まず故障していたひじの手術を受け、仕事帰りにで毎日150球以上投げ込んだといいます。
社会人野球のクラブチームのWIEN BASEBALL CLUBに入り本格的に再開。
そしてついに2年後の1998年にヤクルトスワローズからドラフト8位で指名され、見事プロ野球選手になります。
プロ野球での成績は1軍出場することなく2002年に戦力外となり引退します。
その後は横浜市交通局に勤務したのち、県内の企業で働いている。
丹波幹雄の現在の職業(仕事)は?
丹波幹雄さん現在は「川崎鶴見臨港バス株式会社」に勤務されております。バスの運転手ということは大型2種免許を持っていないとできない仕事です。
プロ野球選手からバスの運転手への転身とは驚きましたが、一度はやめた野球を公園で一人で練習するとこから再開してプロ野球選手になった方ですので、努力をされたんだと思います。
現在バス運転手は高齢化が進んでおり、人材の確保に苦労していると聞きます。丹波幹雄さんは業界を支えていく1人となっております。
まとめ
丹波慎也投手の兄の丹波幹雄さんは肘を怪我して野球をやめていたものの、丹波慎也さんの一言でプロ野球選手になっておりました。
現在の職業はバスの運転手をされております。凄い人生を歩んでこられています・・・
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