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丹波慎也の動画をみたら実力が凄い!上地雄輔との関係も気になる!

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今回は元横浜高校の丹波慎也投手についてお伝えしていきます。

 

横浜高校歴代最高の投手といえば いえば皆さんは誰を思い浮かべますか?

 

やっぱり松坂大輔投手でしょうか?

 

横浜高校の元監督の渡辺さんは違いました 。

 

松坂以上の天才投手がいたと言います。

 

その投手こそ丹波慎也さんなのです。

 

監督歴50年以上の渡辺監督にして松坂大輔投手以上のピッチャーってどんな人なんでしょう?

 

ちょっと想像がつきませんよね?

 

そこで丹波慎也投手の動画や写真を探して実力を調べてみたいと思います。

 

丹波慎也投手の動画や写真で実力をチェック!

実は丹波慎也投手の動画は少ないんですが、こちらの動画でピッチングを見ることが出来ます。

 

3:14あたりです。この時まだ1年生なのですが、変化球の切れがスゴイです・・・

 

丹波慎也投手について詳しく知ることができる動画です。感動しますよ!

 

出典:http://hitomoti.com/entry/358/

 

丹波慎也投手は名門横浜高校野球部において1年夏からベンチ入り。

 

2年生の新チームからはチームのエースで4番。球速は140kmを超え、オープン戦4試合でノーヒットノーラン2回ホームラン3本という成績を残しております。

 

実力は相当なものであったことは容易に想像できます。

 

また丹波慎也投手は野球だけでなく、勉強の成績も良く文武両道を成し遂げてる人物であったとも渡辺監督は行っております。

 

当時上下関係が厳しかった高校野球の世界において、丹波慎也投手はチームでも一番優しかったとのことです。

 

人間的にも素晴らしい丹波慎也投手は、3年生になったらいったいどんな投手になっていったのか知りたですよね?

 

しかし、丹波慎也投手は3年生になることはありませんでした。

 

なぜなら2年生新チーム発足後、ノーヒットノーラン2回、ホームラン3本という凄まじい経歴をのこしてなくなってしまったからです。

 

丹波幹雄の経歴や現在の職業は?丹波慎也の一言で兄はプロ野球選手に・・・

 

丹波慎也投手の死因は?

丹波慎也投手は1995年8月17日に急逝されております。

 

死因は心臓肥大による急性心筋梗塞です。

 

秋季大会を翌日に控えた日の出来事でした。

 

丹波慎也投資は前日に中央学院との練習試合を終え元気にしていたとのことでした。

 

丹波慎也投手の死因である心臓肥大による急性心筋梗塞について少し説明します。

 

丹波慎也投手がなくなったとき横浜高校野球部の部員達は 受け入れられなかったと言います。

 

渡辺監督も秋季大会出場を辞退しようと考えたそうです。

 

渡辺監督は自分の指導方法に問題がなかったかなど当時相当悩まれたと言います。

 

しかし丹波慎也投手の母親から絶対に出場してくださいと強く懇願されて秋季大会に出場したと言います。

 

チームの大黒柱を失った横浜高校野球部は決して評判が高いとは言えなかったものの、 丹波慎也投手の思いを胸に一致団結します。

 

選抜甲子園を決める関東大会に駒を進めた横浜高校は苦戦を強いられます。

 

終盤で4点ビハインド。8回にヒットとホームランで多いあげるもまだ相手が2点リード。

 

9回 ツーアウトと追い込まれるもヒット2本とファーボールで満塁。

 

相手守備がもたつく間にランナー二人が帰って同点、そしてサヨナラヒットで勝利。 続く試合も勝利を収め選抜甲子園の切符を手にしました。

 

渡辺監督は丹波が守ってくれたとコメント。 ホームランを放った幕田選手はその時だけ風向きが変わったとコメントしております。

 

丹波慎也選手とそれを思う部員の気持ちが通じた試合だったのかもしれません…

 

丹波慎也投手の代わりに投手を務めた松井光介選手はその後プロ野球に進んでいます。

上地雄輔との関係

 

今は芸能界で活躍する上地雄輔さんですが横浜高校野球部だったことは誰もが知るところです。

 

なぜ上地雄輔さんが横浜高校に入学したかと言うと、丹波慎也投資の球を受けてみたいと思ったからなのです。

 

中学3年生だった上地雄輔さんは家族で 夏の神奈川大会準決勝の 横浜高校対横浜商工の試合をテレビ観戦しておりました。

 

終盤に丹波慎也投手がリリーフとしてマウンドに上がります。

 

背番号11をつけたモデルのような出で立ちの丹波慎也投手は相手バッターを次々に三振をとり、ピンチを切り抜けます。

 

上地雄輔さんは、この人の球 を受けてみたいと思い、茨城の常総学院に進路が決まっていましたが横浜高校へ入学することになります。

 

横浜高校に入学した上地雄輔さんは丹波投手にお前が上地かと言われ、自分のことを覚えていてもらって本当に嬉しかったそうです。

 

また試合で丹波慎也投手とバッテリーを組んだ上地雄輔さんは褒められたときもかなり嬉しかったとのことです。

 

松坂大輔投手も丹波さんみたいになれたらなと言っていたとのことです。

まとめ

丹波慎也投手は 4試合で2度のノーヒットノーラン、 3本のホームランと すごい実力の持ち主でした。

 

死因については心臓肥大による急性心筋梗塞と若いスポーツ選手では珍しい病気で急逝されております。

 

当時私は丹波慎也投手のこの話を聞いた時に、神様は何て残酷なことをするのだろうかと思ったものです。

 

しかし、丹波慎也さんは 亡くなってからも様々な人に影響を与え続けておられました。

 

丹波慎也投手には、肘を壊し横浜高校野球部を2年でやめていた兄がいました。

 

丹波慎也投手が亡くなる2週間前キャッチボールした時に、まだまだやれるじゃんと言われ、再び野球を始めて後にプロ野球選手になっております。

 

また丹波投手は20年以上経った今でも伝説の投手として語り継がれております。

 

丹波慎也投手は本当にすごい野球選手であり人物だったと改めて思います。

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