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近田豊年の経歴や現在の仕事は?結婚して妻や子供はいる?

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今回は高校まで野球をやったことがないのにプロ野球選手になった近田豊年さんの経歴や現在の仕事についてや結婚した妻や子供についてお伝えしていきます。

近田豊年さんは日本で初の両投げのスイッチピッチャーなんですよ!まるで漫画に出てくる聴取のようですが、実際にできる近田豊年さんはどんな経歴でスト一致ピッチャーになったのでしょう!

近田豊年の経歴(プロフィール)

名前:近田豊年

出身:高知県宿毛市沖

年齢:57歳

生年月日:1965年11月12日

出身高校:明徳高校(現・明徳義塾高校)

近田豊年さんは高知県宿毛市沖の島出身で、小学校や中学時代はチームがなかったため空手や陸上競技といった個人競技に取り組んでいました。

空手は中学校時代全国大会に出場しており、また砲丸投げでも良い成績を残したりと身体能力の高さがありました。

野球については本来左投げ左打ちであったが、左投げ用のグローブがなかったため右で投げていたといいます。

近田豊年さんはチームはなかったものの小学校5年生の時には両投げでプロ野球選手になると決めていたとのことです。

砲丸投げを見た明徳から身体能力を評価され、高校は明徳高校に進学し野球部に入部します。高校では左投げに専念し、1983年の選抜甲子園尚森北戦で1イニング登板しています。

高校卒業後は社会人野球の本田鈴鹿に入社し左投げでプレー。4年目にヤクルトのスカウトに注目されるもドラフトでの指名はなく、そのスカウトの紹介で南海ホークスのテストを受け入団しプロ入りをしました。

一軍初登板は188年4月14日のロッテ戦5番手で登板し1失点で、1軍デイの成績はこの一回のみとなっています。

後に阪神にトレードされるも一軍登板の機会がないまま翌年の1991年に任意引退となった。

その後はゴルフのレッスンプロとなるも2007年に関電グループ硬式野球部に選手権コーチで入団。アマチュア復帰のために阪神は自由契約となっています。

また、40歳と42歳の時にアメリカのマイナーリーグのトライアウトに参加していますが、いずれも不合格となった。

2021年に55歳で左右どちらでも130kmを投げるというギネス記録挑戦を表明。クラウドファンディングで資金を募り2022年に実施するも惜しくも届かなかった。

結果は左122kmで左が右113kmでした。というか55歳でこの球速はすごいと思います!

近田豊年の現在の仕事(職業)はゴルフレッスンプロ

近田豊年さんの現在の仕事はというと、関西で再びゴルフのインストラクターをされております。

西中島南方駅、梅田駅関西で、複数の駅前ゴルフスクールを経営されております。

近田豊年は結婚して妻や子供がいる?

この様に近田豊年さんは結婚し妻(嫁)と子供さんがおります。

子供は男の子と女の子で、男の子は近田球丸(ちかだきゅうま)君という名前です。近田球丸君は子役をされています。

まとめ

近田豊年さんは小中学校時代は野球チームがなく、からtりゃほ右岸庵下といった個人競技をしていました。

素質を買われ明徳義塾高校野球部に進学。社会人野球を経てテスト入団で南海ホークスに入団しプロ野球選手となった。

現在の職業はゴルフのインストラクターで、駅前ゴルフ教室を展開しています。

結婚しており妻やと子供がおり、長男は子役活動をしておりました。

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