今回は名古屋市連続通り魔殺傷事件の犯人の伊田和世(ひらひらさん)の生い立ちや若い頃といった経歴や逮捕後の現在について調査してみました。
伊田和世(ひらひらさん)は2003年3月30日名古屋市北区の路上と4月1日名古屋市千種区では発生した通り魔事件の犯人です。
伊田和世はフリルが付いた服を着用し自転車で徘徊することから、近隣ではひらひらさんと呼ばれておりました2006年2月の名古屋地裁で無期懲役の判決が下されました。
伊田和世(ひらひらさん)の顔画像
「リカちゃん人形の本を差し入れてほしい」 名古屋通り魔連続殺傷事件、伊田和世 pic.twitter.com/jafhNYh6hK
— 殺人鬼が残した言葉 (@satsujinki_word) August 1, 2014
こちらは名古屋市連続通り魔殺傷事件の犯人のひらひらさんこと伊田和世の顔画像です。
名前:伊田和世
出身:名古屋市中央区
年齢:61歳(2025年2月時点)
生年月日:1964年11月5日
伊田和世(ひらひらさん)の生い立ちや若い頃
名古屋市連続通り魔殺傷事件の犯人の伊田和世(ひらひらさん)は水道修理業の父親と美人で派手な母親と4歳年上の姉の4人家族であった。
母親はヒステリックな性格で伊田和世を怒鳴る声が頻繁に聞こえていたといい、父親は伊田和世をかわいがっていたものの母親に嫌気出さしたのか離婚をして家を出ていった。
その後母親は働き家にはほとんどいることはなくなったといい、小学生の伊田和世は不登校気味になるも、時おり登校してゃ髪をカールさせ化粧をし府リスのついたスカートをはいてくるなど奇異の目で見られた。
名古屋市連続通り魔殺傷事件の犯人の伊田和世(ひらひらさん)は幼い頃より登校中に目があった同級生を恫喝するなどトラブルメーカーであった。
性格は攻撃的で変わり者だったため友達はいなかった。中学を卒業した名古屋市連続通り魔殺傷事件の犯人の伊田和世(ひらひらさん)は高校へは進学せず水商売の道へ進んだ。
伊田和世(ひらひらさん)の経歴
中学卒業後は水商売の道へ進みホステスをし、美人であったため引く抜きもあったといわれており、コンパニオンやモデルなどの仕事を転々とした。
その後高価なブランド品が欲しいという理由でソープランドで働くようになるが、ここでも人気で20歳以上年の離れた妻子持ちの男性の愛人となりソープランドを辞めた。
愛人から月17万円の手当をもらい、関係は希薄になっていたものの関係は事件を起こすまで続いていたといわれています。
愛犬が亡くなったショックでうつ病になり精神科に通うようになっていた伊田和世はそれまで母親と住んでいたが、窓ガラスを割ったりするようになり追い出された。
近所の借家で一人暮らしを始めてからはトラブルを何度もお越し、近所ではトラブルメーカーとして有名であった。
また、離婚後音信不通となっていた父親は岐阜県で霊能者として成功しており伊田和世に毎月10万円の仕送りをするようになった。
父親のもとを訪れるようになった伊田和世であったが、父親には愛人がおり嫉妬をするようになり愛人の服を焼き払う騒動を起こした。
このことにより父親は毎月30万円仕送りすることにする代わり一切のかかわりを立つようにさせる。このことは伊田和世にとってショックが大きかったようである。
このころから伊田和世は精神的に変調をきたして用もないのに奇抜な格好で自転車を乗り回して近所からひらひらさんと呼ばれるようになった。
愛人と父親からの仕送りでむしょにもかかわらず毎月47万円の収入があった伊田和世であったのだが、アンティークなどの金を使い困窮していたという。家はゴミ屋敷状態であった。
そして自分だけが他人と比べて不幸だとイライラを募らせていくようになった。
伊田和世(ひらひらさん)の現在は?
名古屋市連続通り魔殺傷事件の犯人の伊田和世(ひらひらさん)の犯行動機はイライラ解消のためと供述し、2005年11月の論告求刑で無期懲役が言い渡されました。
公判中の精神鑑定で反社会性の人格傷害などは見られるが、責任能力に問題はないとされている。また飼い猫の世話を巡って弁護士をか人するなど奇異な行動も見られた。
2006年2月24日判決公判で無期懲役を言い渡され、弁護が控訴しないとし無期懲役が確定している。
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