今回は三和銀行オンライン詐欺事件の犯人の伊藤素子と交際相手の南敏之の生い立ちやその後の今現在について調査しました。
三和銀行オンライン詐欺事件は1981年に大阪の三和銀行茨木支店の女性行員であった伊藤素子が同支店のオンライン端末を操作して起こした巨額横領詐欺事件です。
「好きな人のためにやりました」と伊藤素子が言った言葉は当時の流行着にもなり、美人だったためか服役中は刑務所にファンれたが届いたといいます。
三和銀行オンライン事件の概要とは?
三和銀行茨木支店の預金係として勤務していた伊藤素子は美人でいろいろな縁談が舞い込んでいたが、面食いだったことから首を縦に振ることはありませんでした。
そんな伊藤素子のもとに南敏之という背が高くハンサムで茨城霊園という一万坪もの土地を持つ経営者が現れます。
大型のキャデラックに乗って現れる南敏之は既婚者で、遊び癖と強欲な経営が失敗して一億円近い負債を抱えていました。
伊藤素子は実はこれまで12年にわたり銀行に出入りしていた男と不倫をしてきており、2度の中絶をしていたことからまともの結婚はできないであろうと考えていました。
伊藤素子ははじめは割り切った不倫関係と考えていたものの南敏之に泥沼のようにはまっていきました。
南敏之は次第に伊藤素子に金の無心をするようになります。はじめは10万円、次第に伊藤素子のキャッシュカードを借りて30万円、50万円と金を使っていきます。
そして伊藤素子は結局900万円もの預金を南敏行に渡しました。
別れを考えるようになるが南敏之は伊藤素子に銀行務めやから何か知恵があるだろうとしつこくいます。
伊藤素子は方法はあるがすぐにつかまってしまうと南敏之に言いますが、南敏之は金を引き出したらその足で出国しフィリピンのマニラで幸せに暮らそうと持ち掛けたのです。
そして事件当日伊藤素子はあらかじめ解説してあった4つの架空口座に一億八千万円を送金し、直後に歯医者に行ってくるといい、大阪、東京と移動して現金5千万円と小切手8千万円を引き出し、待ち合わせた南敏之に渡します。そして伊藤素子は一人でマニラに出国したのです。
しかしマニラに南敏行は一度も現れることはありませんでした・・・
伊藤素子は南敏之に裏切られたのです。
1981年9月8日伊藤素子は現地で拘束され、成田へ向かく飛行機の機内で逮捕されました。
マニラで拘束中にはマスコミに対して「好きな人のためにやりました」といい流行語になりました。
逮捕後伊藤素子は南敏之に対する恨み節はなく、悪いのは私なのです。南さんは年からの悪人ではなく借金に追われているうちに人間が変わっていったのです。といっており、南敏之と離婚することとなった妻にも謝罪しています。
1982年大阪地裁で伊藤素子は懲役11982年大阪地裁で伊藤素子は懲役2年6カ月、南敏之は懲役5年の判決が下されました。
伊藤素子の生い立ち
伊藤素子は1948年11月18日生まれで京都府日向市出身で、父親は高校教師で母親は華道家、兄弟は兄一人姉3人でした。
高校は京都府西京区にある明徳商業高校を卒業しています。
伊藤素子はおとなしい性格だったといい、また美人でもあったといいます。
南敏之の生い立ち
南敏之は伊藤素子より3歳年上で1970年3月立正大学卒業後は東急観光株式会社に入社。その後1972年に寺院の娘と結婚し東急観光株式会社を退職。
その後妻の実家が所有する霊苑管理事務所の専務取締役に就任。1975年からは友人からフィリピンのマニラにある旅行案内業を引き継いだ。
また政治家の秘書をしていたこともあるといいます。
幼少期や家族についての情報はありませんでしたが、この時代に私立大学に進学していることから比較的裕福な家庭であったのではないかと思われます。
伊藤素子のその後今現在
伊藤素子は模範囚だったため2年後に仮釈放となった。その後は大阪の品屋に勤務していたといいます。
出所後実家に一時戻っていたとされますが住んでいるのは一番上の姉だけだったそうです。
41歳となった伊藤素子は1990年に事件のことを承知している一般の広告代理店に勤務するサラリーマンと結婚しています。
現在は社長夫人となり滋賀県のマンションで暮らしているといわれていますが、訪れたマスコミも伊藤素子の所在をつかむことはできなかったといいます。
現在伊藤素子の年齢は70歳を超えています。静かな余生を送っているのかもしれません。
南敏之のその後や今現在
南敏之は出所後姓を村上の改名しているといいます。生きていれば77歳くらいになっていると思われますが、南敏之の現在についての情報はありませんでした。
まとめ
伊藤素子の生い立ちは物静かな性格で父親が高校教師で母親が華道家で5人兄弟の末っ子でした。
伊藤素子のその後や今現在については、出所後一般のサラリーマンと結婚し、現在は滋賀県のマンションで暮らしているという情報があるもののマスコミも詳細は把握していませんでした。
伊藤素子がフィリピンで好きな人のためにやりましたとマスコミに言った言葉が当時の流行語になりました。
南敏之の生い立ちの詳細は情報がありませんでしたが、立正大学出身で東急観光に就職し、その後寺院の娘と結婚。その後伊藤素子を利用し三和銀行オンライン詐欺事件となった。
南敏之のその後や今現在については出所後苗字を村上に改名しているという情報以外詳細はありませんでした。
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