12月1日金曜日放送の「爆報THEフライデー」でラストエンペラー愛新覚羅溥儀の姪の妹の福永嫮生(旧姓:愛新覚羅)さんが出演し、天城山で起こったラストエンペラーの姪の愛新覚羅慧生と青森県の南部鉄道の役員という家出身の大久保武道という身分の違い過ぎる二人の駆け落ちの最後に関する新証言をされます。
私はラストエンペラーの子孫の方がいらっしゃることは知りませんでした。そこで今回は福永嫮生(旧姓:愛新覚羅)について調べていきたいと思います。
福永嫮生(福永こ生)の経歴
名 前:福永嫮生(ふくながこせい)
旧 姓:愛新覚羅嫮生(あいしんかくらこせい)
生年月日:1940年3月18日
愛新覚羅溥儀の実弟の溥傑と日本の侯爵家の嵯峨浩(さがひろ)夫婦の次女として出生。生まれたのは嵯峨浩の実家東京で生まれ、同年6月に満州に渡る。
その後ひもんオ敗戦とともに満州国は解体され、中国大陸を流転したのち母の嵯峨浩とともに日本に引き揚げ、嵯峨家で育った。
一方父の溥傑はというと満州解体時にハバフロスクやハルピンなどでの収容生活を送っていた。姉の愛新覚羅慧生が周恩来に父に会いたいと願ったところ文通が認められた。
1960年に父の溥傑が釈放され、学習院短期大学部を卒業した嫮生は翌年母と藻に中国に渡り、16年ぶりに父親の溥傑と再会する。
溥傑と嵯峨浩は北京で夫婦生活をするが、嫮生は日本に帰化し嵯峨家の祖母の元で花嫁修業をし、母の妹・泰子(香淳皇后の女官)の嫁ぎ先であり、嵯峨家と親交の深い福永家の次男と結婚し5人の子供をもうけた。(現在福永姓であるのはこのためです。)
現在は兵庫県西宮市在住で父母や叔父の溥儀が生きた時代の証言や日中友好等の講演活動をされています。
福永こ生の子供は?
福永こ生さんの経歴で5人の子供がいるとお伝えしましたが、子供は現在何をされているのか気になり調べてみました。
あまり情報がなかったのですが、2012年頃の情報で1人は東京大学で学びながら愛新覚羅一族の研究をされているという情報がありました。
感想
日本と中国の間で福永こ生さんは苦労し生きてこられたようです。その苦労は大変なものであったと思います。
時代が時代ならば皇帝一族であった方です。今回の爆報THEフライデーでは天城山の件でどんな新証言が出るのか注目です。
現在は恋愛でも何でも自由な社会となっています。そうでなかった時代を生きてきた福永こ生さんのいうことに耳を傾けてみるいい機会だと思いました。
なんか今回の爆報THEフライデーは深い感じがします。皆さんも見逃さないようにしましょう!
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