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【玉梨とうふ茶屋】佐々木謙一(豆腐職人)の経歴は?家族はいる?

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今回は福島県大沼郡金山町で「玉梨とうふ茶屋」を経営する豆腐職人の佐々木謙一社長の経歴についてお伝えしていきたいと思います。

玉梨とうふ茶屋については前回の記事でお伝えしたように、大豆ではなく枝豆から豆腐を作る幻の青ばととうふが人気だとご紹介しました。

現在年齢が90歳という佐々木謙一社長ですが、山奥で豆腐店を経営するに至った経緯や豆腐へのこだわりとはどんなものなのでしょうか?

佐々木謙一 豆腐職人の経歴

名前:佐々木謙一

出身:福島県

年齢:90歳(2025年9月時点)

佐々木謙一さんは6人姉妹の長男として生まれます。実は佐々木謙一さんは源頼朝の家臣の子孫で38代目なんです。

学生時代は学校にあまり行かずに喫茶店でたむろをして高校中退とのこと。また若い頃は駅前でスナックを経営したこともあったそうです。

地元では佐々木社長は遊び人という目で見られていたとのことです。それから母親の面倒を見るために48歳の時に妻(嫁)と離婚し実家に戻って父親がやっていた豆腐屋兼食堂を始めます。

3年目には子供のころ食べていた枝豆から作る青ばととうふが無性に食べたくなり、1丁500円で販売して成功します。その後幻の青ばととうふ豆アイスクリームを作り福島県知事賞を受賞。

その後も1,000円の豆腐、2,000円の豆腐を販売するなど「玉梨とうふ茶屋」は軌道に乗り、多い時には一日何百人も来店し行列ができるお店にまで成長しました。

しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災における福島第一原発事故が実被害はなかったものの風評被害が深刻で、14人ほどの従業員は解雇し現在はその時残った専務と二人でお店をされています。

現在も現役で豆腐職人として佐々木謙一さんは頑張っておられ、シェアハウスを作るという目標があるといいます。

玉梨とうふ茶屋の佐々木謙一 値段に関する考え方

佐々木謙一さんが玉梨とうふ茶屋を始めた当初豆腐はスーパーの安売りで2丁100円で売られていたといいます。

しかし、佐々木謙一さんは1丁100円で売ったといいます。会津の山奥では考えられない値段だったとのこと。

豆腐作りは大変で、当時は苦労して作った豆腐をなぜ安く売らなけらばならないという気持ちがあったとのこと。

それも奥会津の百年水や厳選した枝豆を使用しています。現在はお客様に絶対わかってもらえるはずという佐々木謙一さんの信念が実を結んでいる。

おからドーナツ開発秘話

玉梨とうふ茶屋の人気商品の一つにおからドーナツがあります。佐々木謙一さんはおからドーナツの開発に3年かかったといいます。

背景にはこれまで捨てていたおからが産業廃棄物になったことで、業者の依頼すると廃棄量として5〜6万円かかったといいます。

そこで素材を活かし体にもいいドーナツを作ったといいます。砂糖を使っておらず覚めても硬くならないのだそうです。

佐々木謙一(豆腐職人)の家族については?

佐々木謙一さんですが現在年齢90歳ということで、お店の後継者についてはどのように考えられているのでしょうか?

佐々木謙一さんは玉梨とうふ茶屋を始める際に女房と別れて実家に帰ってきたとおっしゃられております。現在は一人暮らしのようです。

現在は専務との二人でお店を切り盛りされているので、お店は専務のようにやりたいという人がやればいいとおっしゃっています。

都会の人の人情がない人はお店には向かないと語られていますので、過去に何かあったのかもしれません。

まとめ

玉梨とうふ茶屋店主の佐々木謙一(豆腐職人)の経歴は地元では遊び人、悪とみられ高校は中退されており、48歳の時に実家で豆腐屋を始め、枝豆を使った青ばととうふがヒットしますが、福島第一原発の風評被害で深刻な経営危機を体験をされておりました。現在はシェアハウスが目標。

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