今回は日本で初めてのセクシャルハラスメント裁判となった福岡セクシャルハラスメント事件、もしくは福岡q企画出版社事件と呼ばれるセクハラ事件に注目してみました。
今でこそセクハラ事件として扱われますが、この被害者が被告からセクハラを受けていたのは1980年代後半で日本でセクハラという概念すらなかった時代です。
福岡q企画出版社事件(福岡セクシャルハラスメント事件)とはいったいどういったものだったのでしょうか?
福岡q企画出版社事件(福岡セクシャルハラスメント事件)の概要とは?
福岡県の大学生向けの情報誌などを手掛ける小さな出版社も福岡q企画出版社に勤務していた晴野まゆみさん。
福岡q企画で勤務する被害者となった晴野まゆみさんは入社後すぐに頭角を現し、編集長の穴埋めをするほどまでになりました。
評価が上がっていく晴野まゆみさんに対して大学の先輩だった編集長のX男の態度が変わっていきます。
そして編集長のX男は「晴野は夜遊びがお盛んで」とか、「夜な夜な、男と遊び歩いて」などいうようになります。
そのころ晴野まゆみさんは卵巣腫瘍を患い1っカ月入院することになります。すると編集長のX男は電話で社外の人に「晴野が入院することになって。盲腸じゃなくて阿智の病気。夜遊びが激しくって」などと本人がいる前でしたと言います。
このような性的誹謗中傷は2年半にわたって続き、限界を感じた晴野さんは親会社の社長や会社の専務に相談します。
しかし、「大人の女性だったら笑って過ごせ」といわれたといいます。その半月後には晴野まゆみさんは即日解雇を告げられたのでした。
晴野さんは簡易裁判所に調停を起こしますが、調停員からこのようにいあわれます。「若くてきれいだから、いろいろとやかく噂を立てられたんでしょ。そういう噂を立てられるうちが花じゃないですか?」。
そのころ女性弁護士による法律事務所ができたことを知った晴野まゆみさんは弁護士の原田直子さんに相談します。
するとそれはあなたが女性だからといわれます。
平成元年晴野まゆみさんは多くの女性に背中を押されて会社と元編集長を提訴。これが日本初のセクシャルハラスメント裁判となります。
その2年半後福岡地裁が出した判決は・・・
晴野まゆみさん側の全面勝訴。
セクハラを行った元編集長と会社側に損害賠償が言い渡されました。
判決後から五年後、男女雇用機会均等法に規定が設けられ、企業はセクハラ防止や対策をしなければならないとなりました。
晴野まゆみさん達が声を上げたことで、日本社会に広くセクシャルハラスメントが認知されるようになったのです。
晴野まゆみさんの著書「原告A子―福岡セクシュアル・ハラスメント裁判手記」があります。
アマゾンで購入できるので、詳しい内容はこちらでご確認ください!
福岡q企画出版社事件の被告の編集長の名前や顔画像は?
晴野まゆみさんにセクシャルハラスメントをした被告の編集長の名前や顔画像、現在はどうなっているのか調べてみましたが、情報は出てきませんでした。
晴野さんの大学の先輩という被告の編集長は、現在は年齢70歳前後と思われます。裁判後どのような人生を送ってきたのか気になりますが、情報はありませんでした。
まとめ
福岡q企画出版社事件(福岡セクシャルハラスメント事件)は日本で初めてのセクハラ裁判であり、日本社会にセクシャルハラスメントを認知させました。
福岡q企画出版社事件(福岡セクシャルハラスメント事件)の被告は原告の晴野まゆみさんも大学の先輩でした。
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