今回は愛知県の豊川信用金庫事件を真相をわかりやすく犯人の女子高生のその後や現在についても調べてみました。
豊川信用金庫事件は1973年女子高生の何気ない雑談がデマとなって豊川信用金庫に預金者が殺到し、14億円の預金が引き出され倒産しそうになった事件です。
女子高生の噂が信用金庫を倒産させる寸前までいった。この様なことになってしまった原因はどんなものだったのでしょうか?
豊川信用金庫事件の真相をわかりやすく!
この事件は以下のように女子高生の何気ない雑談に尾ひれがつていて拡散していったことが原因なのです。
豊川信用金庫事件の発端は1973年1月8日登校中の電車内で3人の女子高生のたわいのない雑談がきっかけでした・・・
女子高生BとCは豊川信用金庫に就職が決まったAに対して「信用金庫は危ないよ」とからかいました。女子高生BとCが言った危ないとは経営的なことではなく、強盗が来たら危ないという冗談でした。
冗談を真に受けた女子高生Aはその夜、親戚Dに信用金庫は危ないのかと尋ねるとDは近くに親戚Eに豊川信用金庫は危ないのかと聞きます。
翌日Eは美容院経営者のFに豊川信用金庫が危ないらしいと話すと、Fが親戚Gに話します。その場にいたクリーニング店のHが耳のはさみ妻のIに伝わり、井戸端会議で広まっていった。
この頃には小坂井町内の主婦の間に噂が広まり、「豊川信金は危ない」と断定調となっていた。
12月13日にこのクリーニング店で電話を借りた噂を知らないガス業者のJが仕事で支払う金120万円を豊川信用金庫から引き出すよう話したのをIが聞き、180万円を豊川信用金庫から引き出します。
そして豊川信用金庫が倒産するとクリーニング店店主のHと妻のIは知人らに広めました。そしてこの宇原はアマチュア無線愛好家によってさらに広がっていきました。
その後デマは「職員が使い込みをした」、「職員が5億円を持ち逃げした」、「裏に組織的な陰謀があり、警察発表は政治的なもの」などとデマは誇張され加速していき収集がつかなくパニックとなっていったのでした。
豊川信用金庫は当時の国信用金庫連合会理事長の小原の指示で「カウンターに大量の札束を置く」、「財務省とのやり取りを放送」、「敢えて出金を進める」、「マスコミを使ってのPR」などによって取り付け騒ぎの危機を脱した。
豊川信用金庫 女子高生のその後現在や名前は?
事の発端となった女子高生A、B、Cの3人はその後どうなったのでしょうか?名前や顔画像などは明らかになっているのでしょうか?
豊川信用金庫取次騒ぎ事件のデマの発端となった雑談をした女子高生3人について警察はこの騒動には犯人がなく、女子高生も信用毀損業務妨害罪等には問われないと発表しています。
また、この女子高生3人の名前や顔画像は明らかになっておりません。また豊川信用金庫の就職したのかといったこともわかりません。
この女子高生3人はたわいもない雑談をしただけではないでしょうか?それを大人の親戚の憶測やクリーニング店が根拠も確認せず広めていったので、個人的に女子高生3人は何も悪くないように思います。
クリーニング店の店主や妻の現在は?
事件の概要を見ていくうちに噂を広めたのはクリーニング店特に妻のIなのではないかと思った人もいるのではないでしょうか?
ただ、このクリーニング店の店主も妻も偶然電話を借りに来たガス業者が豊川信用金庫から現金を引き出すという偶然かかさなってしまったという点で仕方がない面がありました。
豊川信金事件の犯人はいないという事になっていますので、特に罪に問われることはありませんでした。
ネットをくまなく調べてみたのですが、クリーニング店の名前や場所などの情報はありませんでした。
もう50年以上たっているので、クリーニング店はないと思われますし、店主のH,妻のIさんも生きていれば90歳を超えています。もうそっとしておくしかありません。
まとめ
豊川信用金庫事件の真相は女子高生の雑談→親戚→クリーニング店と勘違いや憶測が増大しながら偶然も重なり拡散していった結果発生しました。
豊川信用金庫事件の女子高生、クリーニング店のその後や現在については情報がありませんでした。
豊川信用金庫事件は社会現象や心理学の研究対象となっています。私たちが豊川信用金庫事件についてできることは、今後に活かす事だけではないでしょうか?
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