皆さんは広島東洋カープ背番号14・炎のストッパーと呼ばれた津田恒実投手を覚えていますか?
※津田恒美さんは改名されて津田恒実とされています。
今回はその津田恒実さんの晃代(てるよ)夫人に注目していきたいと思います。
若くして津田恒美さんを亡くした夫人は現在までどのような人生を送ってこられたのでしょうか?
津田恒実の嫁の晃代夫人に再婚した相手はいる?
晃代夫人は1987年の24歳の時に津田恒美さんとご結婚され、息子( 長男・大毅 さん)が一人おられます。
2人の馴れ初めは、熊本出身で山口の大学に通っていた晃代夫人 がパーティーのコンパニオンをしているところを津田恒美さんが見初めたのがキッカケとのことです。
津田恒美さんが32歳で亡くなった時晃代夫人はまだ29歳という若さでした。
しかもかなりの美人ですので、ネットでは「 津田恒実 嫁 再婚相手はいる?」、「津田恒美 夫人 再婚した?」といった検索がされております。
結論を申しますと津田恒実さんの嫁(晃代夫人)は再婚されていないようです!
2008年にアパレル経営の男性と再婚したと書かれているブログがありましたが、それ以外は再婚はしていないと書かれています。
晃代夫人は現在も津田晃代の名前でお仕事をされておりますし、2012年に津田恒実さんが野球殿堂入りをした際は、津田恒実さんの代わりにレリーフを受け取っていますので再婚はされていないと思います。
再婚されていれば姓が変わっていると思いますし、津田姓で仕事をされるということはさすがにないと思います。
津田恒実の嫁の晃代夫人の現在の仕事は?
29歳という若さでご主人の津田恒実さんを亡くされた晃代夫人はその後どのような人生を送ってこられたのでしょうか?
津田恒実さんと死別後は故郷の熊本に帰郷し、エステサロンを経営しながら息子の津田大毅さんを育てます。
その後40歳の時に医療専門学校に通って理学療法士の資格を取得し、病院のリハビリテーション科に10年間勤務。
多くに患者さんと接するうち 心と体の深い関わりに気づき、心理学、機能脳科学などに興味をもちはじめ、カウンセリングやコーチングを学ぶ。
そして現在の仕事はスポーツコミュニケーションアドバイザー、パーソナルコーチをされております。
福岡県の高野連そうかで講演されたりと精力的に活動されております。
今でも語り継がれる伝説の投手の婦人であり、療養中の津田恒実さんに寄り添ったり、子育て、そして理学療法士としての経験を持つ晃代夫人だからこそできる仕事ではないかと思います。
津田晃代さんのブログのURLになりますので、ご覧ください!
津田晃代さんのプロフィール
名前:津田晃代(つだてるよ)
年齢:55歳(1963年7月31日生まれ)
出身:熊本県八代市
24歳の時に元広島東洋カープの津田恒美投手と結婚し、長男・大毅さんを出産。
津田恒実さんが30歳の時に脳腫瘍になり、2年3か月のツ秒後、晃代さんが29歳で津田恒実さんと死別。
その後エステ経営、理学療法士として病院勤務を経て現在はスポーツコミュニケーションアドバイザー、パーソナルコーチとして活躍している。
著書に 最後のストライク」(幻冬舎)がある。
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まとめ
炎のストッパーと呼ばれた津田恒実さんの妻(嫁)の晃代夫人は再婚はされていないと思われます。
また津田恒実さんの晃代夫人の現在の仕事は、 スポーツコミュニケーションアドバイザー、パーソナルコーチ としてこれまでの経験を活かした仕事をされています。
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