今回はペルー大使館人質事件 少女モニカの生い立ちや両親について調べてみました。この事件は「ワールド極限ミステリー」で人質との絆という内容で取り上げられました。
この事件は衝撃的な事件でしたが、リマ症候群という言葉が生まれた事件でもありました。
4カ月に及ぶ犯人と人質の生活でテロリストと人質の間に親近感が生まれたのです。テロリストの一人の16歳の少女もその一人でした。
ペルー大使館人質事件 犯人の16歳少女は誰?
「ワールド極限ミステリー」で取り上げられたペルー大使館人質事件の犯人の一人の16歳の少女の名前はモニカ・エルティスという少女です。
モニカは事件発生から127日間の人質たちとの生活の中で日本語や日本食を習ったりしているうちに親近感を抱くようになりました。
モニカは二と自治たちからもモ二の愛称で呼ばれ交換を持たれていたといいます。
この事件はフジモリ大統領の指示で群が強行突入をし終わりを迎えます。
モニカは群が突入してきたとき人質の鈴木英夫さんに銃を向けますが、鈴木さんが「モニカ、撃つな」というとモニカは一瞬ひるみます。
そのすきに銃を奪い鈴木さんは被害にあわずに済みました。
一方モニカはというと突入してきた軍によって射殺されてしまいました。
ペルー大使館人質事件 少女モニカの生い立ちや両親について
事件発生当時モニカは15歳で年齢でいけば中学生です。なぜモニカはテロリストの左翼組織トゥパク・アルマ革命運動(MRTA)の仲間になったのでしょうか?
ネットで調べた結果、いくつかの情報がありました。
モニカの両親はテロリストで父親がMRTAのコマンドリーダーで母親はすでに亡くなっていて、父親の釈放の為に犯行に加わったというものです。
もう一つは父親がMRTAの創設メンバーの一人で母親も
父親はエドュアルド・アルティスといい、MRTAの創設者のメンバーの一人で、母親もメンバーだったが脱走し1995年に死亡しているというものです。
こちらの場合だとモニカは幼いころから両親の影響でMRTAの活動に参加していたというものです。
色々調べてみたのですが、モニカに関する情報は多くなく現段階でどちらなのかは判断できませんでいた。
今回ペルー日本大使館を襲撃したMRTAのメンバー14人のうち幹部を除く10人はペルー北東部のジャングル出身の貧困層で大使館襲撃の為に一人5000ドルで勧誘されジャングルで訓練を受けたものがほとんどだったといいます。
まとめ
ペルー大使館人質事件 少女はモニカという少女で、ペルーの貧困層の出身でした。
ペルー大使館人質事件 少女のモニカは人質との生活で日本語や日本食を学んでいきました。糸自治たちからも好感を抱かれる存在だったようです。
生い立ちについてはいくつかの説があるものの両親がテロリストだった可能性が高いようです。
少年少女らがこの様な組織に利用される背景には小学校教育もまともに受けられない貧困が大きくかかわっていました。
この事件の概要には触れませんでしたが、ペルー政府は投降した犯人に対しても射殺をするなど多くの問題を残しています。
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