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1887年新潟県 クマ狩り猟師5人雪山遭難事件の真相・真実とは?

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今回は1887年(明治20年)に起きた新潟県南魚沼郡清水村の5人の猟師が雪山に熊を獲りに行って遭難した事件の真相に迫ってみました。

この事件の奇妙な点は5人の猟師は雪深い山中だというのに全員上半身裸で息絶えていたんです。いったいなぜなのか?

まさに日本のディアトロフ峠事件ともいえるこの新潟熊狩り猟師5人遭難事件。真相はなんだたのでしょうか?

ディアトロフ峠事件についてはこちら・・・

1887年新潟熊狩り猟師5人遭難事件とは?

新潟県南魚沼郡清水村の猟師5人が熊狩りの為に約30kgの米をもって4月1日に利根川の源流がある寳川に入山するも10日経っても戻ってこない。

当初家族は獲物が大量にとれたのだろうと考えていたが、入山した山は2000メートル級の山々が連なる豪雪地帯。4月と言えど極寒の場所です。

雪崩や吹雪にあって下山できないのではと思い遂に捜索隊を出すことに・・・

捜索隊は古来から猟場とされている場所で5人敗退となって発見されたのである。

1人は仮小屋の火床に突っ伏したまま片袖を脱いで、もう一人は仮小屋から約109m離れた場所であおむけに、他の3人もそれぞれ30~50mほど離れあおむけになった状態で発見されます。

奇妙な点・・・

上記が新潟熊取猟師5人遭難事件の概要ですが、奇妙な点をまとめてみました。

この5人の遺体には争った形跡やクマなどに襲われた外傷は一切ない。

食料も残っておりがししたわけでもない。

仮小屋以外で発見された4人は上半身裸の状態。

雪から突き出ていた手の色が紫色に変色していた。

豪雪地帯の雪山で極寒な状況にもかかわらず、なぜ手は紫に変色し、上半身裸になっていたのでしょうか・・・

1887年新潟熊狩り猟師5人遭難事件の真相・真実とは?

上記が1887年に起きた新潟熊狩り猟師5人遭難事件の概要です。

では極寒の雪や下で上半身裸で、手の色が紫になっていた真相はというと・・・

仮小屋でなくなっていたのはリーダー格の男で、火を起こそうとしていたがうまくいかず寒さで息絶えてしまった。

残りの4人についてはというと仮小屋で団をとることができず低体温症になったと考えられ、意識障害が起こり小屋の中を厚いと感じ外に出て服を脱いでしまった。

これは人間が長時間極寒にさらされると体内の熱生産をあげようとする働きが起こるが、体内温度と外気温の温度差が生じ、脳が熱いと錯覚してしまう現象で「矛盾脱衣」とよばれます。

真相は低体温症によるものだと考えられます。今でこそ様々な衣類がありますが明治時代といえば木綿の肌着しかないので、汗をかけば蒸発せずじっとりと濡れたままの状態が続いて低体温症になりやすい状況だったと考えられます。

では雪から突き出ていた手がなぜ紫色に変色したのか・・・

これは日焼けによるものだと考えられています。発生前後の天候は晴れだといわれており、荒天で遭難し、その後晴れたために手が変色した可能性が高いということになっています。

冒頭で紹介したディアトロフ峠では茶色になっていたといいます。

ただここで真相としてお伝えした内容は、当時遺体を解剖することができなかったので、後年上記のようなことが原因でないかというものです。


まとめ

創案した猟師が上半身裸になっていたのは低体温症による「矛盾脱衣」と考えられる。

手が紫色に変色していたのは、日焼けの可能性が高い。

近年登山ブームですが、やはり山は油断すると命にかかわりますので、しっかりとした登山計画を立てて、装備も確認して行いましょう。

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